日本人がニューヨークで人に影響を与える存在になるには

ASSORT NEW YORK/VACANCY PROJECTのクリエイティブディレクターとして日本語でブログをスタート。。ということで、まずは自分自身、店の立ち上げに至るまでの経緯をなるべく面白く(面白くなかった自分もIncludingしながら)紹介していきたいと思います。

 

ASSORT GROUP CEO・小林KenがASSORTを立ち上げた2007年、私は美容の世界に足を踏み入れました。

2009年に日本美容専門学校を卒業し、青山某ヘアサロンに就職。2011年に退社、New Yorkへ渡米。

某ヘアサロンを経て2015年 ASSORT NEW YORKに参加。

2016年6月、クリエイティブディレクターとしてVACANCY PROJECTオープン。

 

ファッション系大学を出た母親の影響で、美容師を目指す前から海外のファッション、文化に興味を持ち、学生のことからストリートファッション・ストリートアート・コンテンポラリーアートに夢中になっていました。

よく渋谷のタワーレコードの6階の洋書コーナーでフォトグラフィーを見たり、英語も分からないのに洋楽を聞いたり。。

Edie SedgwickAgyness Deynのようなスタイルに憧れていた私は、とりあえず彼らのようなイケイケな髪型にしたい!と思い、原宿のど真ん中にある超トレンディなヘアサロンを訪れました。

(原宿で髪を切ればイケイケになれるだろうという直感のみでした笑)

驚いたのは、まずサロンにいるスタッフがみんなオシャレでカッコイイということ。そして彼らのファッション・ミュージック・アートの知識はあきらかに私より豊富で、あれはもう衝撃的でした。

私が当時初めて持ってきた写真(当時はInstagramましてやiPhoneなんてないので、雑誌の切り抜きです)がこちら。

 

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まさにファッション業界を牛耳っていたころのAgyness Deyn

唯一無二の彼女のスタイルは、まさに17歳の私のアイコン的存在でした。

そしてExactlyやりたかった髪型にしてもらい、私は本当に感動したのです。

これを仕事にしたら楽しそうだな、、そんな感動を誰かに与えたい。という気持ちと、オシャレでEdgyなことに死ぬほど興味があったことから、私は美容師になる道を進むことを決めたのでした。

 

渡米することになったきっかけは、当時ストリートでエッジの聞いたスタイルだけをやりたかった自分にとって、コンサバ・巻き髪スタイルが流行り始めたことでした。

仕上げは全部コテで巻き、角のないスタイルが(いろんな意味で)流行り始め、私は自分のやっていることに違和感を感じ始めたのです。

(もちろん、ヘア自体は大好きだったのでコンサバスタイルや巻き髪スタイルを勉強できたことは本当に良かったと思います。)

 

やっぱりエッジの聞いたグランジなものが好き!という単純な理由で当時働いていたサロンを退社。

ずっと興味があったニューヨークへ行ってみよう。

自分の憧れていた場所でいい刺激を受けて、日本でもう一度シャンプーからでもやり直す覚悟でアメリカへ行くことを決めたのです。

店の中でもかなり勢いのあるタイプだったので、私の突然の退社にスタッフはみんな驚いていました。笑

 

そしてみんな口を揃えて言ったのです。

 

「海外で美容師をやるなんてそう簡単じゃない」

 

しかし、私の決意は堅く、退社後すぐに渡米。

自分の生まれ育った国を出るのも初めて。

英語も話せない。

どこにも知り合いひとりいないニューヨークへ飛び込んだのです。

 

1ヶ月間バックパックひとつでニューヨーク中を歩き回りました。

たくさんの音楽に触れて、たくさんの人に出会って、たくさんのアートに触れて、

あぁ、やっぱりニューヨークは素敵な街だ。と感じる毎日でした。

 

1ヶ月の間に、とあるサロンに飛び込みで面接を受け、採用。

その時は観光ビザだったため日本に戻り、数ヶ月後ニューヨークへ戻ってきました。

その時は正直まだ ”数年働いて、また日本で美容師をやりたいな”なんていう曖昧な気持ちでした。

 

美容師としてニューヨークで働き始め、まずはアシスタントをしながら外国人の髪質を勉強していくことから始まりました。

カットもスタイリングもカラーも、アジア人と白人とでは全然違います。

髪質も違えば文化も違うので、毎日が奮闘でした。

例えばシャンプーするとき、ネープを洗おうとすると思っ切り頭を起こされて水が大噴射的なことも、あるあるです。笑

 

ところがニューヨークに住み始めて数週間、私は変な違和感を感じ始めたのです。

世界にはもっと魅力的な人がいると思っていたのです。そしてそれに出会うのも難しくないと。

ところが人に会えば会うほど、どこかの誰かに似ていることに気づきます。

何か人とは違うことをしたい。

オリジナルでクリエイティブなことをしたい。

そう思ってニューヨークに来たのに、生活はなんら東京と変わらないじゃないか。

ただ仕事して生活してるのがニューヨークシティという場所なだけで、私はただのつまらない外国人だったのです。

 

しかし、それはより一層、自分が誰にも真似できない人いなりたいという気持ちにさせました。

 

そして気付いたのです。

このニューヨークシティという場所に、アメリカという国の文化をもっと体で感じたいと。

 

それを実現させたのはまさに、”言語” でした。

言語を学ぶということは、文化を学ぶことだったのです。(CEO・小林Kenが言っている”言語は文化”ということは、まさに私のアメリカ生活全てのルーツとなったのです。)

とはいえ私はまだ白人の髪もまともに切れないアシスタントだったので、頭を使って思いついたことは、

 

”カットモデルをやりまくる”

これがまさに今のMasami Hosonoを作り上げたものでした。

 

私はオシャレな人が集まりそうなエリア(当時はブルックリンのWilliamsburgがまさにヒップスターの溜まり場でした笑)に毎日足を運び、カットモデルを捕まえては切り、捕まえては切り、捕まえまくりの切りまくり。

写真を撮って当時流行り始めたばかりのInstagramを自分の作品集代わりに使っていました。

ニューヨークが東京と違うところは、オシャレで可愛い子でも全然髪を切らせてくれるということです。

 

毎日毎日オシャレな子たちの髪をやっているうちに、友達ができるようになりました。

ある女の子の髪を切ると、彼女はこう言いました。

「Thanks for cutting my hair! You should visit my art studio!」

ニューヨークにはアーティストがたくさんいて、髪を切ることで彼らとつながりができ、自分の知らなかった新しいアートシーンに触れることができたのです。

そして彼らはまた違うアーティストの友達を紹介してくれて、私は彼らの髪を切るのです。

 

例えばミュージシャンの子のカラーをしてあげると

「Masami! Every single my friends love my new hair! You should meet them!」

彼らのコンサートに誘われ、そこでまたミュージシャンの友達ができ、彼らの髪をやることができたのです。

 

まさに、つながりがつながりを生み続けたのです。

 

そして私は彼らと”美容師として”つながり続けたのです。

 

気がつけば、私は1年で400人以上のモデルをやりました。

これは東京でもやったことのない数字でした。

いつしか私は道ばたでモデルハントをする必要がなくなったのです。

 

そして音楽シーン、アートシーン、ファッションシーン

自分の世代の勢いのある子たちの中で、私の名前は知られていくようになりました。

 

私の得意なスタイルは”Grunge, Messy, Choppy” (寝癖風、切りっ放し、飾りすぎない)でした。

自分の大きな武器となったのが、まさにInstagramでした

 

ニューヨークに来た時に1枚もヘアの写真がない私のInstagramはほんの800人ほどのフォロワー数でした。

それが、ただただ自分の得意なスタイル・今旬だと思う髪型を作り、写真を上げ続けているうちに

1年で4000人を超えるフォロワーがついたのです。

ほとんとが、ニューヨークに住む人たちです。

 

そしてもうひとつ、400人のモデルを切って、友達が増えて気付いたこと

 

英語がものすごいスピードで上達

していたのです。

本当に、ごく自然なことでした。

 

好きな仕事に真剣に向き合うこと

止まることなく進み続けること

協力してくれたすべての人に感謝すること

出会いに感謝すること

そして何より、

”ヘアーを楽しむこと”

 

そしてそういう気持ちでこの4年間美容師という仕事と向き合っていくことで、自然と周りには魅力的な人が集まってくれることにも気づきました。

 

そしてアメリカ生活3年目にして最大の出会いが訪れたのです。

ASSORT GROUP CEOである小林Kenさんと出会い

でした。

ものすごい審美眼に優れたKenさんは、私を次のステージへ運んでくれたのです。

 

美容師7年目にして、ASSORT NEW YORKでついに

スタイリストデビュー

したのです。

 

 

4年前に思い切って日本を離れ、このカルチャーに直接触れていなかったら、人生は違うものになっていた気がします。

今は毎日お客様(老若男女多国籍がテーマ!!)との出会いとサロンワーカーとしてのやりがいに幸せを感じています。

気がつけばニューヨークに来て5年目になりましたが、(1度も帰国していませんw)

もう一度言います。

世界のどこにいても、面白い人はそんなにたくさんいません。

自分が、人に影響与える面白い人間になるのです。

 

何かが与えられることを待っていても何も始まりません。(歳をとるだけ。。)

したいことがあるなら、自分で実現しましょう。

そして今日から始めるのです。

今日がよい日かどうか関係ありません。

これからも可能な限り生き続けて、面白いこといっぱいしようと思います。

 

See you later:)

 

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