先月、2016年11月23日、ASSORTがこの世に誕生して5年となりました。
ASSORT 5 YEAR ANNIVERSARY PARTYへ雨の中お越しいただいた皆様、協賛いただいた企業様、本当にありがとうございます。お陰様で大盛況でした。
当時スタイリスト4名、アシスタント5名ではじめた会社が、今となっては多国籍のスタッフ数60名以上、3ヶ国(日本・香港・アメリカ)、6店舗のグローバル企業とまで成長しました。
私はいつも先しかみない癖があり、あまり過去に振り返ることがないのですが、5年という月日が経った今、なんとなく振り返ってみようかと思います。長い記事になりそうなので、時間があるときに是非ご覧ください。今後、お店作りを目指す方の参考になれればと思います。
オープン一年目の私は一体何を考えていたのであろうか。何を目指していたのであろうか。
正直そこまで余裕はなかったですね。日々資金繰りに苦しんでいた私は、ただただ売り上げを上げることだけを考え、それには集客と求人が必須でした。ネット集客ブームに乗り、なんとか苦しい資金繰りの日々から脱出できることができました。
そして個人事業から法人化し、はじめて自分の財布と、お店の財布が違う、という本当の意味に直面しました。22歳からずっと個人事業主として活動してきた私は、ずっと歩合制が収入のあり方でした。ですが会社となれば、毎月お店の売り上げがどれだけ上がっても、(業績によって一年に一度だけ設定できますが)私の役員報酬は変わりません。経営者という立場の第一歩を踏み出した気がします。
そんな資金繰りの苦しみや、5年後、10年後、50年後、100年後のスタッフの将来となる土台をつくるには、プレイヤーから経営者とシフトしなければならないと気づいた2年目。
如何に会社に利益を出すか。そしてそのお金をどのように未来へ投資し、新たな挑戦や可能性を生み出すか。アルバイトは途中で経験したものの、ほぼほぼ美容師としてしか仕事してこなかった私は、経営に対してはど素人。右も左もわかりません。
でも答えなんて人に求めなかった。自分で考え、自分で勉強し、ネットや本を読み続け、少しずつ知識を増やしていった。独学って奴ですね。
そして会社のブランディング戦略にも大きくプラスとなることにチャレンジすることにし、それがNEW YORK出店でした。
詳しくは、以前こちら書いたブログをどうぞ ↓ ↓
「ASSORT NY店ができるまでの道のり…….」
上記の記事にも書いてあるように、色々苦戦したものの、ニューヨーク出店を無事果たしたASSORT。東京とニューヨークをどのようにブランディングしていくか、資金は大丈夫か。外国での集客や求人はどうするのか?そんなことを考えていたら、すぐASSORT3年目へと突入しました。
そこでひとつ気づいたことがありました。NEW YORKだけのことを考えていても、土台となる日本が止まってしまう。まだまだ走り始めた私たちですし、実態としては現場では様々な問題を抱えていました。でも私は絶対ここで止まってはいけないと思い、ここぞ勝負、何が何でも進むしかないと確信していたのです。その際はスタッフにも沢山迷惑をかけてしまったように思えます。
そして思いつきました。「会社の理念だ!」
そう、ASSORTが生まれてきた意味、十人十色のスタッフがひとつ屋根のしたで共存できる意味こそが答えだと、ふと頭に思い浮かんだ。
「東京店とニューヨーク店でいっぱいっぱい」という思考から、「どうしたら両方を確立できる、なお効率的に」とマインドをリセットし、日本とアメリカをいい意味で別々に考えるようになりました。
そんな中、東京のお店は、お客様の数に対して席数が足りないという問題になっていました。
よし、今だ。今がベストなタイミングだ。
「どうせやるなら、違うブランドをやってみよう。」当時は「by ◯◯」的な店舗展開が多かったため、違うことに挑戦してみたかったのです。お店が外苑前ということで、比較的大人のお客様が多かった当時は、会社の将来のことも考え、「大人のためのヘアサロン」をつくることにしました。
当時はこんなことを考えていました:
「新店舗CLASS AOYAMAへの思い。つまらないと思われてもしょうがない。」http://www.assort-inc.com/ken/1876/
オープン3年目だった当時、はじめて国内2店舗という可能性と同時に、また大きな壁に直面しました。
人事はどうする?移動?教育?ヘルプ?材料?二通りのマーケティング?SNSはどうする?
などと、エンドレスに課題が急速に湧き出てきた。でもまともやここで止まっていけない、絶対みんなの将来のためにも、ここは凌ぐべきだ。と自分に言い聞かした。
課題をひとつひとつクリアしようと、スタッフみんなで試行錯誤の日々を迎えていました。
そしてこの頃には、私はもうひとりではありませんでした。スタッフがひとりひとりお店のことを真剣に考えてくれ、現場での課題改善や、仕組みなどを任せれるようになりました。ここが私にとって大きな大きなことでした。
もちろん今までもみんな家族や仲間として思っていましたが、なぜだかここからは違う意味での信頼が生まれはじめていた。それは多分、スタッフに実績や結果が出てきていたからだと思います。綺麗事並べてだけでは、いくら身内のスタッフでも、相手は信用できなかったのです。
でも、逆に行動に移し、結果がではじめていたスタッフには絶大なる信頼が生まれ始めていました。それは現場のトップはもちろんのこと、さらにスタッフひとりひとりに対してです。
そうか、これからもっともっと結果がでるスタッフが増えてくるであろう。
私も負けずにさらなる挑戦に挑まないといけない。
そんなとき、またもや頭によぎったのが、海外だった。
これからはグローバル企業だ。私たちにしかできない差別化かとは、間違いなくインターナショナルな思考だ。と確信していた私は、次なる国を探しました。
そしてスタッフと相談した結果、すぐ決まりました。やはり経営者も現場もスピードが命ですね。
ASSORTのHONG KONG進出が決まりました。
香港店の経緯も、こちらより詳しくどうぞ ↓ ↓
「ASSORT HONG KONGができるまでの道のり。。。」
さー、今度はワーキングホリデー制度もある香港ですから、スタッフの移動や教育はある程度リンクさせることができる。さー、どうする。アシスタントの頃から海外でサロンワークの経験をできる環境をどうしても作りたかったのです。それが必ず彼ら彼女たちの将来の大きな財産になる。
そしてその経験こそがASSORTの国内店舗でも活かされる。
この頃には、ASSORTは早4年目に突入していました。
この時からですかね、忙しかったためか、出張で飛び回っていたためか、時間の進み方があまり覚えていないようです。ただひたすら、スタッフの将来のことを考えるようになりました。
3年目から4年目にかけて外国人対応をスタッフを増やし、語学を優先とする求人を選択しました。ASSORTはニューヨーク店や香港店もあることから、月ごとに外国人のお客様が口コミでどんどん増えていきました。
そのタイミングでインバウンドの注目度が異常に世間で話題になり、ASSORTはたくさんのメディアで取り上げられ、外国人や海外のイメージが強くなっていった。
ですが、東京では以前と同じ問題になっていました。
お客様の数に対して、席数の数が足りない。
これからデビューしていくスタッフがどんどん増えていくため、なんとか場所を提供してあげないとスタッフの未来がない。必然的に、若いスタッフが喜ぶサロン作りが必要だと感じ、また新たなブランドを作ることにしました。他サロンさんが、どんどん青山原宿界隈から離れていた時期だからこそ、原宿のど真ん中で挑戦してみたかったのです。
CORRERブランドの誕生でした。
「お店の店舗数って関係あると思いますか?」
http://poolmagazine.net/2806
国内2店舗で手応えを感じていたのですが、やはり3店舗になると全く変わります。完全マニュアル化と柔軟化の間ってところでしょうか。規模が小さくも大きくもないという、中途半端の位置。
ですが、逆に3店舗でしかできないことは?などと考え方をプラスに変え、またスタッフと一緒に試行錯誤の日々がはじまりました。
ただ今まと圧倒的に違ったのは、固定コストです。高い家賃により、今までは比べ物にならない資金繰りに挑戦しないといけませんでした。高い固定コストをどのように乗り越えるか、どこを節約し、どこで利益を出していくか、今まで以上にシビアに取り組むようになりました。
さらに、ここではじめてスタッフの結婚や出産ラッシュがはじまり、次々へのスタッフの結婚や出産が増え、(特に)女性の今後の働き方や、スタッフの家庭との関係性をとても重視するようになりました。スタッフの家族の理解がなければ、当然会社としてもサポートもできません。どうしたら相手のご家族に理解いただけるか?どんな働き方であれば、みんな納得し、気持ちよく働けるか。現場との関係性は大丈夫か?などと、色々と考えるようなり、スタッフと一緒に密にコミュニケーションをとり、対策などを一緒に考え、実行してきました。
そして気づいたら2016年1月。
ASSORTは5年目となりました。
ニューヨーク店を立ち上げて3年、ここもやはり止まってはいけない。アメリカも日本と同じく税金がバカ高いものの、少しずつ貯まった内部留保をすべてニューヨーク2店舗目、VACANCYに投資をしました。こちらもスタッフ自身の思いや夢を形とするサロンとなりました。
*VACANCY PROJECTのPRE OPEN PARTY動画です。
今までの4年間でたくさん挑戦し、さまざまな壁を越えては登りの繰り返しでしたが、この2016年は私個人として、一番変化を感じました。なんでしょう、やはり5年だからでしょうか。今まで以上に責任を感じ、美容師がプロ意識が当たり前であるように、私も経営者としてプロ意識をもっと持たなければ、と感じた1年間でした。
現場からどんどん離れてしまっていた私、、、
今こそ、小林 Kenという自己ブランディング、背中をもっと見せなければ!と思い、次々と個人としての活動を積極的に行いました。セミナーが苦手だった私ですが、引き受けることにしました。ありがたいことに、全国へ20-40人規模のセミナー、100人規模、500人規模、1000人規模のセミナーまで参加させて頂きました。数多くのメディアにも露出し、たくさん経験させていただきました。
自分のためでもありましたが、やっぱりスタッフのため、みんなの夢のため。
さらに、以前から取り組みたかったボランティア活動も実行することができました。
「私達日本人美容師ができる社会貢献とは、一体なんなのか。」
http://www.assort-inc.com/ken/2746/
そして、決め手はこちら。
[ASSORT CEO 小林KEN] カット料金改定のお知らせと、その思い。
http://www.assort-inc.com/ken/2571/
カット料金を2万円にあげました。
こちら経緯は長くなってしまうので、是非記事をご覧ください。
本当に内容が濃いーーー2016年でしたね。
オープン当初からの主な課題や悩みは教育、集客、求人、資金繰り。5年経った今でも、課題は何も変わっていませんね。ほぼほぼ同じ要素です。ひとつの課題を達成したら、また次の課題が生まれ、それの達成や改善に取り組む。このサイクルがエンドレスと今も続いています。技術も経営も同じ。完成型なんてない、人が変われば時代も変わる。それは常にもっと成長したい、もっといい環境を作りたい、もっともっともっとと、わがままな少年のようにガムシャラにただ前を見て走っているだけのようです。
そして何気なくはじめたお店が、1日1日歳を重ねることに、存在する意味や価値が日々変化しつつも、少しずつ明確になり、、、人間と同じように成長し、、、子供から大人になっていく感覚のように思えます。
来年の春、ASSORTはさらなる挑戦でヨーロッパ進出を決意しました。東京(青山、原宿)、アメリカ(ニューヨーク)、中国(香港)に続いてオランダ(アムステルダム)と4カ国目となります。(なんでオランダ?それはまた後日お伝えさせて頂きます。)
5年前、アソートを立ち上げたときは、ただただおしゃれなデザインを創り、そのデザインが(結果を出し)世の中に認められたかっただけでした。
独立する際、誰だって口揃っていうのが「みんなと違うことをしたい」や「今までにないお店をつくりたい」です。ですが、どこも結局は自分の過去や、育てられた環境のやりかたやレールを捨て切れず、気づけば同じようなお店・会社づくりとなるのが大半のように見えました。
私も当初は、そのようになるところでした。
しかし、お店をオープンして三ヶ月後には大きな決断をしました。それは、(ネット集客ブーム全盛期にも関わらず)意地でも新規のお客様には入客しないこと。新規指名のお客様も、紹介以外は受け付けないこと。そして美容師としての撮影の仕事は全て断ること。即ち、完全に裏の人間になることでした。通常では考えられないスタイルだと思います。
自分が表に出ないことによって、スタッフは信じられないスピードで成長し、当時500人弱ご来店頂いていたご新規のお客様も、撮影の仕事も、すべてスタッフに任せました。
ASSORTの代表である私の責任のひとつが、「小林 Ken」の個人ブランディングではなく、「ASSORT」のブランディングであることに気づいたのです。世の中が「小林 Ken」を知る必要など全くないと感じ、「ASSORT」を知ってもらうことが大優先。
今思えばASSORTブランドの将来を、大きく左右する選択肢でした。あのまま自分が前にでていたら、今のASSORTは間違いなくないでしょう。
決してサロンオーナーが、自身の個人ブランディングを優先してはいけないということではなく、なんとなくですが、当時はその考え方こそが新しく、今までにない新しい発想と感じました。
今も拘っているのが、前年と同じ環境でないことです。固定概念は捨てるべきとスタッフと言い続けています。ですから、毎年同じ環境では、お決まりのレールができてしまいます。スタッフを成長させるに一番大切な過程は、自ら考えさせることです。日本人のような効率人間ですと、試行錯誤が遠回りと思われがちですが、試行錯誤こそが最大の武器であり、本質的な成長へと一番早く導いてくれる種です。
そんなスタッフが増えれば増えるほど、当然いろんな問題は起きてくるでしょう。でもその分、私たち代表者は常に柔軟な考えでありつづけ、(客観視し)相手を決めつけない考え方でいなくはなりません。
それこそが新しい時代を築き、新たな幸せの形を生むのです。
だって、幸せな形って数え切れないほどあっても良くないですか?
そんなことにも気づけた、5年間でした。
スタッフのみんな、いつも僕の180度変わる発想を聞いてくれて、一緒に走ってくれてありがとう。
最近出張が多いけれど文句ひとつ言わず、いつも家庭を支えてくれている真有美、ありがとう。
ネットでASSORTの活動を密かに全部チェックしているアメリカにいる家族のみんな、いつも応援してくれてありがとう。
独立した時は27歳。僕は、なんでも一人でできると思っていた。人の力なんていらない、自分の未来は自分で創り、すべてにおいて自己中心的な考え方だった。
今は32歳。ひとりでは何もできないよ。
それに気づけたことが何よりも幸せだ。
心より感謝の気持ちを込めて、THANK YOU。
小林 Ken
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